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【苅田の歴史ミステリー劇場-平清経塚・後編-】

苅田町の歴史ミステリー?を紹介するコーナーです。不定期掲載していきます。
平清経塚、続きです。大河ドラマで鎌倉殿の13人、が放映中なので、あわせてお楽しみください。
鎌倉時代の五輪塔は、凝灰石で作られたもので梵字が彫り込まれており、その規模などから地頭クラスの墓と推測されている。清経伝説は、入水されたといわれている宇佐市柳ヶ浦などにもあり、苅田の清経伝説はちまたに流布したものが伝承として固定したものと考えられる。
平清経は平重盛の三男で、平清盛の孫。『清経』は能の代表演目としても知られる。
寿永2年(1183年)に平家一門が都落ちした後は、次第に悲観的な考えに取り憑かれ、太宰府を元家来の緒方惟義に追い落とされたことをきっかけとして、豊前国柳浦(柳ヶ浦)にて入水自殺した。享年21歳。
平家物語の『六道之沙汰』の段で建礼門院による述懐に、清経の死が『心憂きことのはじめ』として語られている。
画像一枚め 平清経塚
画像二枚め 能の清経(ウィキペディアより引用)